Vol. 22 # 8
難儀の根本原因
「おかげを知らない」=「天地の道理」を知らない
ご神伝によると「人間は神のおかげを知らない」と諭しておられます。では神のおかげとは何だろうか。それは、人間が天地の間に生きているということと、天地の間に生きていることのおかげです。天地金乃神様は、金光大神さまに以下のように伝えておられます。
「人間は、天地の間に生きておりながら、そのおかげを知らない。神仏の宮寺も人間の家屋敷も、みな神の地所である。そのわけを知らないで、方角日柄ばかり見て無礼をし、前々のめぐりあわせで難を受けている。」[VU70]
「人間は、天地の間に生きている」というのは、人間を中心にするのではなく、天地の側から人間を見たものです。人間を中心にした見方は、鮮明に多くのことを知ることは出来ても、人間の存在をかえって、より大きな不安に陥れることになります。
次に、天地の間に生きていることのおかげとは何でしょうか。それは天地のいのちやはたらきから人間のいのちやはたらきが送り届けられている、恩恵を指します。そのことを知らないところから、人間はいのちをわが力で獲得し所有している、と思ってしまいます。
このような、人間をはじめ万物が天地の間にあり、天地と深くかかわって生かされて生きている、という真実を「天地の道理」と呼んでいます。
「わが力で何事も」人代の世界
「天地の道理」を知らないことから必然的に生じてくるのは、意識の面における天地と人間との関係の断絶です。すなわち、人間の周囲にある者はみな、だれかの「わが物である」、人間がしていることはみな「わが力でしている」、という自己中心的な考えがそこから出てきます。
人間が所有しているものは、土地、資材など、もともと天地にあった物や、農産物、海産物、工業製品、その結果としてのお金など、天地のかかわりにおいて生みだされたものです。ところが、その「天地」というところが抜け落ちてしまうと、「わが物」という所有の考えになってしまいます。この大地もその他の物も、みな神(天地)の物であるのに、わが物であると思ってしまうのです。できるだけ多く自分の手元に所有しようとする行為が、そこから出てきます。
「この天地もその他の物も、みな神の物であるのに、わが物である、わが金ですると思い、神にお願いしないでするから叱られるのは無理もない。家を建てるにも、神にお願いして、神のお土地をお借りし、今までの無礼をお詫びして建てればさしつかえない」[VU73]
また同様に、することなすことすべて「わが力で何事もしている」という考えが出てきます。考える力も行う力も、みな神(天地)からの贈り物であるのに、それを「わが力」でするのだと思い、その成果をわが努力のせいだと思ってしまいます。その様な行為形式が、天地との関係を覆い隠していくのです。
「今は人代と言って、わが力で何事もしている。神が知らせてやることに背く者がある。神の教えどおりにする者は神になる。昔は神代といい、今は人代である。神代になるように教えてやる。難儀なるもわが心、安心なるもわが心からである」[VU72]
天地の道理に背理する、つまり天地の道理に目を閉ざす。人間「ばかりに頼る」
自分の手元に所有した多くの物も、ひとたび災難に遭えばたちまち泡と消えてしまいます。わが力量を頼みにしても、生命自体がいつも消え失せる危険にさらされています。それをカバーするために、自分を保証してくれる確かなものがほしいのです。その一つが「方角日柄」です。
では、私たちは天地にどのようなご無礼をしているかを、実際起こっている私たちの生活を見比べてみましょう。
ポートランド市内からコロンビア川に沿って50マイルほど東へ車で走ったところに一年中雪をかぶったフード山があります。その山麓にフードリバーという町があり、そこは日本人が開拓した果樹園が盛んなところです。
私がポートランド教会のお結界で御用をさせて頂いていたある日の時でした。フードリバーの住民の方が、七年前に亡くなった妻の御霊祭りをしてほしいと教会を尋ねられました。その方の経歴などを聞いて御霊祭りを約束した。すると一緒についてきた二度目の奥さんが、ご主人の持病の高血圧についてお願いをされました。
彼女は、彼がなぜ血圧が高くなるかの理由を話してくれました。それは過去に果樹園で儲けた金を日本でもっと増やそうとして人に騙され、多くの財を無くし、そのことに何時までも怒りが収まらず、思い起こしては立腹し、血圧が上がり脳溢血になり病院に駆けつけることが度々起こることを話されました。彼はわたしに「私木を切り倒し、木の根っこを掘り起こし、開墾し桃、梨、リンゴなどの苗を植え、水や肥料をやり、剪定などをして大きくし、ようやく花が咲き、実がなり、それを売って苦労して儲けた金です。それを盗まれたことは許せないので腹が立つ」ということでした。
ここまで来るのには相当の努力と苦労があったことでしょう。わたしはその方の話を聞いていてふと思いました。天地の恵みを受けながらでも、夏は日照り、冬は氷と雪と自然の厳しさの中で開墾されたことは並大抵のことではなかったと思います。しかしわたしは、それが神様からのお恵みだということをひしひしと感じ「あなたは神さまのお恵みを十分に受けてこられての今日ですね」と申すと、「はい私が愛情を込めてすべてを育でました」と言われるので、そこでわたしは「あなたは神さまから十分に恵みを受けられ、目に見えて天地のお働きに十分なお礼をされましたか?」、「あなたは自分が育てたというが、天地のお恵みなしでは木は育たない、花も咲きません。従って果実もなりません。その道理が解りませんか?」とわたしが言うと彼は「でも私の土地で、私が開墾し、木の苗を植え、大事に育ててきたのです」と申されるので、「それはあなたの仕事でしょう。しかし天地の親神様のお働きなしではあなたの仕事も努力も形を現わすことが出来ません。私たちは天地のおめぐみ、おはたらき、道理の中に生かされて生きているのです。そこを忘れているからせっかく得た富も誰かに取られてしまうのです。もしあなたのお金を盗んだ人を泥棒呼ばわりにするなら、あなたも神様から盗んだのと同じにはなりませんか?」と申すと、彼は始め納得し「先生あなたは面白いことを言う方ですね。先生と話をしていたら楽しくなってきました。腹が立ったのも治まりました」と言ってその夫婦はフードリバーに帰られました。後日もその夫妻は度々お参りされ梨やリンゴを箱に詰めて持ってこられました。そして「先生あなたの言う通りです。わたしは自分の力で今日までやってきたと思っていましたが。神さまのおかげの中で今日があることに気付かせていただきました。
如何でしたか?あなたの日常生活に役に立ちましたか?
金光教ガーデナ教会からのお知らせ
朝参り、清掃、信徒会議
来る八月七日、午前九時から朝のご祈念が始まります。ご祈念後は教会の内外の清掃をみなさんで行います。ランチ後は信徒会の会議をさせていただきます。会議どなたでも参加できます。あなたも参加しましょう。
八月月例祭
八月第二日曜日 十三日、十四日は北、米カンファレンスが行われるので、ガーデナ教会の月例祭は八月二十一日第三日曜日に延期されます。日にちを間違えないようお願いします。祭り日は、信心を忘れないための大切な日である。この祭り日を忘れさえしなければおかげがある。忘れたらおかげはない。親の恩をさすれないための法事のようなものである。何事にも恩を忘れてはならない。
金光教ガーデナ教会チキン照り焼きセール
ガーデナ教会信徒会は、八月二十八日、日曜日恒例のチキン照り焼き弁当セールを開催いたします。
信徒会は直接、問屋から購入するので、新鮮な鶏腿肉を提供することが出来ます。しかもタレはガーデナ秘伝のタレを作っています。弁当の値段は、骨抜きの大きな鶏腿肉をグリルで丹念に焼いた肉と、ご飯、タレ、ャベツの漬物とオレンジを飾りにした弁当です。値段は弁当一つ12ドルです。いくつでもご注文に応じます。
Comments