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天地の声 令和八年三月

  • 1 日前
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Vol. 26# 3

春 季 霊 祭

金光教ガーデナ教会並びに金光教ロスアンゼルス教会の合同春季霊祭を、3月8日午前10時より、ガーデナ教会斎場にて執り行います。

この春季霊祭は歴代教主金光様はじめ、北米布教功労者そして、金光教ガーデナ教会初代教会長後藤勲先生ご夫妻並びに歴代教会長、金光教ロスアンゼルス教会初代教会長香取敏次ご夫妻並びに、歴代教会方々の教団さらには地域発展のご用のご功績を、たたえさせて頂きます。教会発展の為に尽された布教功労者の霊神様、教徒・信徒の霊神様方、その家族・親族の遠津祖先達諸々の霊神様方の長年のご用。更には戦没英兵士の霊神様達をお招きし、これらの霊神様方あって、教会があり、今日の私どもの命を頂き、ご信心を頂いていること、平和に暮らすことが出来ていることへお礼申し上げつつ、霊神様方の道立ち、更に高いご霊徳を頂かれることをお願いさせていただく祭典です。今日ここに集まり参拝している方々の、家族、親族の祖先諸々の霊様方お招きして仕えさせて頂きます。ご家族そろってお参りされ、ご先祖のみ霊様に喜んでいただくお祭りにさせて頂きましょう。


 かばん持ちのばあちゃん 玉井光雄著

私は、前にも述べたように昭和二十九年に親の跡を継ぎました。しかし、わたしは当時、親不孝で若いころは自分の好きな絵ばかり描いていたので、親の死に目に会えませんでした。

新地布教するほとんどの初代は、並大抵の苦労ではありませんでした。貧乏で特に食事も一日に事欠くことも多々ありました。この想像も絶するほどの苦労を切り抜けて教会の基礎をつくってこられました。私の親もその例にもれず、苦労の連続でした。私も親と同様でした。

父が早島に布教した当時、私はまだ六歳でした。そのころ町に映画が来ました。田舎には映画館はありませんでしたから、小学校の講堂へ白い幕を張って移動の映画が来ておりました。その時アンデルセンの童話の「マッチ売りの少女」という映画が上映されました。私はそれをみんなと一緒に観たあと教室に戻った先生が、

「今日の映画を見てどういうふうに思いましたか」と、みんなに質問をしました。

「あのマッチ売りの少女はかわいそうに、何とかしてあげたらいいのに」とか、「可哀そうに」と、それぞれに思いを語りました。

そのストーリは、寒い雪の降る日にマッチを売り歩いていた少女は、売れないマッチを抱えながら寒さをこらえていました。ある軒先に行ってふと窓をのぞいたら、中ではロウソクをたてて温かい部屋で家族が楽しそうに食事をしているのを見て、お腹がすいていることに気づくと、彼女はその窓へ頬をこすりつけて、自然とその温かい家族のようすをうかがうのです。そうしているうちに寒さに気づき、思わずその籠の中のマッチに一本火をつけて手をかざしてそれで暖を取る。そしてすぐ消える。また一本つけてはまたそれで凍えている手を温める。そうしているうちに少女は凍えてとうとう死んでします。すると天国からソリが降りてきて、その死んだ子供をソリに載せて、天国へ連れていくという物語です。

クラスの子供たちは、「あの少女がかわいそうだ」「部屋の中でごちそう食べている人はどうして分けてあげなかったのだろうか」と、みんなはそれぞれの思いを語りました。しかし私のおもいは違っていました。

私はどのように思ったかというと、「あのマッチ売りの少女は良いなあ」と、思った。ソリに乗って天国につれていってもらったから、お腹がすいたということも要らない。寒い目にもあわんので良かったなあと思った。

もっと本心をいうと、私もああいうふうになりたいなと思った。そのくらいその当時は、子供心に「ひもじい」ということが身に応えていたわけです。そこが他の子と違っていた。先生は他の子を指していたが、私には指してくれなかったので「良かった」と、思った。みんな「可哀そうだ、かわいそうだ」と言っていたのに、もし私に聞かれたら「天国に行ってよかった」と、言ったでしょう。指してくれなくてよかったなあと思います。もしわたしが他の子と違うことを言ったら、この子はどんな考えしとるんじゃろうかと先生は思ったでしょうけれども、現状がそうでしたから。自分の現状と合わせて、何とひもじい目から逃れたいという子供の心気持ちがありましたからそういうふうな気になったわけです。

私は純日本文学ですけれども、私の長男はヨーロッパ文学を専攻いたしました。一時ヘルシンキ大学へいたことがあります。そして大学四年生の時です。卒業論文に何か翻訳したいと云っておりましたが、ヨーロッパから帰ってきて東京から電話をしてきて、

「お父さん、卒業論文にわしは決めたと、原書を持って帰った。これを翻訳して卒業論文にします」と、言う。

何の本だ」と聞いたら、

「アンデルセンじゃ、アンデルセンの本があるのでその本を読んで、その本を一冊卒業論文に翻訳しようと思います。先生がついてくれるからできるとできると思うけど、一生懸命やります。神様にようお願いしてください」言うた。私はその時に、アンデルセンということを聞いたときにどきっとしたんです。途端に思いは六つの時に返ったのです。

親父の私は、アンデルセンのマッチ売りの少女の映画を見て、わしも早くひもじい目から逃れたいので、だれかああいうふうに連れて行ってくれんじゃろうか、というぐらいひもじい目でアンデルセンが今でも頭の中へこびりついている。そのわしのせがれが———大きくなった長男が、今度は同じアンデルセンの原書を翻訳してそれを卒業論文にするというんでしょう。この差はどれだけの差でしょうか。

親子で信心していたこの期間の間に、私ども親子は、これだけの大きな神さまのお育てをいただいているのです。不幸なアンデルセン物語が、思いがけない幸せなアンデルセンに成長している。私はその時に、本当に改めて神さまのお心の広さというか、お前は、元はこうだったけども、わしも辛抱したけれども、お前もよう辛抱した。おかげでアンデルセンがこんな立派なアンデルセンになったぞ、ここまでお前らは成長したのぞ、お前ら親子はおかげを頂いたんぞ、そう言ってくださる神さまのお心がよくわかる、本当にその時は何とも言えん気持ちがして、神様にお礼を申しました。

「幼少の時を忘れて親に不幸のこと」という教えは、こういう教えなんです。原点を忘れてはならん。そこからどれだけ自分が成長したかという、自分で自分の人生の道中を比較しながら成長していくということ、これが神に向かう心を、本当に神様と同じ心の神心に育てていく一番一番大事なことだと、こういうふうに思います。

四月号に続く

日々の改まり

記しおけ 心のそこに いつまでも わが救われし そのはじめをば

 o   記しおけ:「しっかりと書き留めておけ」「忘れないように覚えておけ」という強い勧め。

o   心のそこに:表面的な記憶ではなく、心の深いところに刻むという意味。

o   いつまでも:一時的ではなく、生涯大事にするニュアンス。

o   わが救われし:「私が助かった/救われた」。ここでの救いは、問題が解決したことだけでなく、心が立ち行くようになったことも含みます。

o   そのはじめをば:「助かりの出発点」「信心の原点」「最初におかげを感じたところ」。

難儀が解けはじめたときの出来事を、後になっても忘れない。「どうして信心を始めたのか」「何に救われたのか」という原点を保つ。感謝や謙虚さを失わないための“心のしるし”にする。


金光教ガーデナ教会からのお知らせ

 

ガーデナ教会、朝参り、清掃、信徒会会議

3月1日は、午前9時から朝の礼拝を行います。朝の礼拝の後は、一緒に教会の内外を清掃して心を磨きましょう。昼食後は信徒会会議を行います。どなたでもご参加いただけます。


ガーデナ教会春 季 霊 祭

3月8日、午前10時より春の合同霊祭をガーデナ教会斎場でお仕えさせていただきます。下記の霊神簿にあなたの家族のご先祖の名前と期日を書いて教会に提出してください。

GCWC 勉強会

ガーデナ教会作業委員会は3月15日午前10時から午後2時まで開催されます。


ガーデナ教会、朝参り、清掃、信徒会会議

3月29日は、午前9時から朝の礼拝を行います。朝の礼拝の後は、一緒に教会の内外を清掃して心を磨きましょう。昼食後は信徒会会議を行います。どなたでもご参加いただけます。


金光教ガーデナ教会の理事が選出されました。

中山末子、蜂谷フランセス、安武アレックス、安原フィル、埋ノ江信治


金光教ロスアンゼルス教会からのお知らせ

金光教ロサンゼルス教会、大修理始まる。

ロスアンゼルス教会の雨漏り、室内のカーペット、壁の復習の修理が始まります。

長年活動が出来ていませんでした。今年の生神金光大神大祭はぜひロスアンゼルス教会の広前でお仕えさせていただきたいと願っています。この工事には大きな費用が掛かります。皆様のお祈り添えと真心をお願い申し上げます。お供えされる方は、宛先住所、会計課Mr. & Mrs. Naomi Pearey, 3740 Forecastle Ave. West Covina CA 91792 あてに送ってください。チェックはチェックはKonko Church of Los Angelesと書いてください。よろしくお願い申し上げます。


ロスアンゼルス教会春季霊祭

金光教ロスアンゼルス教会の春季霊祭が、3月8日午前10時より、ガーデナ教会斎場にて執り行われます。

13

まあるい心

やくとは世間で言う厄ではなく、役人の役という字を書く。

やく年とは役に立つ年ということである。

 

大やくの年には、一段と大きな役に立つ年と思って、元気な心で信心をさせていただき、神様のお役に立てることを願いましょう。


今年は厄年じゃ--- 普段よりやくに立てる年じゃが!

 金光大神は、**「やく」=「厄(わざわい)」ではなく「役(役目・役に立つ)」**という見方を示しています。

「厄年」は本来「悪いことが起こる年」と思われがち。金光大神の教えは、字を変えて 「役年=役に立つ年」 と読み替え、「大厄」=「大きな役に立つ年」

 大厄の年ほど「より大きな役目を果たせる年」と受け止め、元気な心で信心に励み、神様のお役に立てるよう願おう、という意味です。

 「厄年で不安だ」ではなく、「今年はいつも以上に人のため、神のために働ける年だ」という励まし・方向転換のメッセージです

不安や災いの予感に心を取られるより、まあるい心(柔らかく、角のない心)で信心し、役に立つ生き方へ向かおう。——それがこのメッセージです。

こころの練習帳

023 先を譲ろう

エスカレーターを歩いたり、人の話を遮るように返事をしたり。現代人はいつも

何かに急ぎ立てられているようです。今、本当に急がなければなりませんか?

「お先にざうぞ」と先を谜りましょう。 ご褒美に、ゆったりと汤れる費误な時同がるらこますよ。



 
 
 

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