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天地の声 令和四年十一月

Vol. 22 # 11

生神金光大神大祭ご案内


生神金光大神大祭は、さまざまな苦難の中、このお道を開いてくださった教祖様への御礼の祭典であるとともに、永久に生き通しの取次の神として、お働き下さっている生神金光大神様への御礼の祭典であり、また、我々信奉者一人ひとりが、その働きを受け現わすことを祈らせて頂く祭典です。教祖金光大神様が生前にお仕えになっておられた「金光大神祭り」は、取次によって人を救い助ける生神金光大神の働きに感謝する日です。

生神金光大神大祭期日

金光教ガーデナ教会は、生神金光大神大祭を来る11月13日、午前10時より。

金光教ロスアンゼルス教会は、生神金光大神大祭を11月27日、午前11時より。

それぞれの教会に於いてご祭典をお仕えさせて頂きます。祭典後のランチは持ち寄りです。


生神金光大神

神と人との間に、あいよかけよのはたらき合いを現す、教祖金光大神のいのちのあり方と、はたらきに対して、神から与えられた称号です。金光教の信心の一切の営みは、生神金光大神を抜きに考えることはできませんが、とりわけ、神と人とを取次ぐはたらきを、そう言います。生神金光大神によって神が現れ、神が現れることによって生神金光大神のはたらきが意味を持つことになります。

  神と人とは、本来、「人間あっての神、神あっての人間」という関係で結ばれており、信心によって両方に「あいよかけよ」のはたらき合いが起きるとき、そこに神・人の助かりが生まれて来ます。そのことをはじめて、身を持って人の世に示したのは、言うまでもなく、教祖金光大神その人です。

  神は、教祖金光大神の、そのいのちの在り方とはたらきに対して、「生神金光大神」という称号を与えました。神は、生神金光大神によって、私たち人間のいのちの中に、そのはたらきをあらわすことになり、反面、私たちのいのちは、生神金光大神との出会いによって、たえず神のいのちへと基づかされることになります。

  生神金光大神とは、このように、神と人との本来の関係に目覚めさせ、「神・人 あいよかけよ」とのかかわり合いを実現させるはたらきをいいます。極端にいえば、神と人とをあるべき姿として結び告げる働きです。この結びつけがないために、人は難儀をしており、この結び付きが生まれれば人は助かることになります。

  神と人とを結びつけるこのはたらきは、「取次」と呼ばれます。その意味で、生神金光大神は、「取次のはたらき」とも呼ばれています。

このような取次のはたらきを端的に述べたものに、次の教えがあります。


「金光大神の取次で、神も立ち行き、人間も立ち行く。人間あっての神、神あっての人間、このことは親が頼み、親のことは子が頼み、天地のような音ので、あいよかけよで頼みあいをせよ」                                                            (353)天地は語る

  ここには、生神金光大神の取次によって、神と人との間に「人間あっての神、神あっての人間」という本来の関係と「あいよかけよ」のはたらき合いが実現されること、それは人間の願いが神によって実現され、神の願いが人間によって実現されるというはたらきであること、そして、取次ぎによって神と人との助かり・立ち行きが実現されるようになること、などが示されています。取次とは、そうしたことの実現を目指すはたらきです。

  このように、「生神金光大神」ということは、金光教の信心のあらゆる内実と深くかかわっています。神と人間とはどういう関係にあるのか、人間はなぜ難儀をしているのか、人間の助かりとは何か、どうしたら人は助かるのかなど、どのことについても生神金光大神の祈り、そしてはたらきを抜きにして語ることは出来ません。神を神たらしめ、人をひとたらしめる一切の営みが、この生神金光大神のいのりとはたらきを持って語られることになります。

南カルフォルニア便り

2023年度KCNA カンファレンス委員会会議は11月12日午前十時より行われます。

金光教ガーデナ教会:11月6日第一日曜日は朝参りが午前9時よりお仕えさせていただきます。ご祈念後は教会の内外を清掃させていただきます。昼食後、信徒会会議を行います。

金光教ロスアンゼルス教会:11月26日第4土曜日は午前10時よりご大祭前の教会内外清掃を行います。


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