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天地の声 令和八年四月

  • 2 日前
  • 読了時間: 10分

Vol. 26# 4

 かばん持ちのばあちゃん 玉井光雄著

私は、親不孝をいたしまして親の死に目に会えず、親が亡くなったあと、才崎教会の三代教会長の片岡次郎師を生みの親とも、教えの親とも思い縋ってまいりました。次郎先生もかわいがってくださり、教えてくださいました。師はご自分の体験を通し、「おまえはこうゆうことに取り組んでいるな。そこで金光様はこのような心になるよう教えてくださっている」と、その場その場で教え導いてくださっていました。おかげで今の私の信心の基礎になっていると思います。その後、師匠は亡くなり十数年になります。師匠を亡くした私は独りぼっちと、力を落としていました。

そういう経過の中で私はボーッとしておりましたが、ふとしたことで元気になり、「師匠は亡くなっても師匠は師匠だ、師匠と弟子は生死に境はない」と、今でも「師と共にある」ことに気づきました。だから、今こうして元気で頑張っているような次第でございます。

私が師匠から初めに教えて頂いたことは、「お前、教会に帰ったら信者を導いてやろうとか、信心を教えてやろうとか、というようなことは思うなよ。そのかわり、教会という場でお前自身が、自分の信心生活を一生懸命にさせて頂きなさい。二人になったらその二人と一緒に仲間として信心していけ。決して信心を教えてやろう、導いてやろう、信者を増やしてやろう、教会を大きくしてやろう、などと思うなよ」と、とこんこんと教えられました。わたしはその教え通りをしてまいりました。

そして仲間がたくさんできました。初めのころは誰もお参りはないし、お広前は教会らしき機能もないままでしたが、いつの間にか広前の筵が畳にかわるし、天井は張れるし、一つずつ出来上がってきました。師匠の教えを守って、気がついたら仲間たちでお広前はいっぱいでございました。

そして今日、いろいろな人が訪ねてきて、仲間がたくさんたくさんできました。私は現在、本当に毎日の信心が嬉しくて嬉しくてたまりません。楽しくてたまらんのです。そういう仲間と心が通じ合っていますから、遠方の方もいるし、近所の方もいますが、みんな心がつながっておるいうことは、どれほど心強いことか、そしてそれを神様が責任をもって一緒に生きてくださるのだから、こんなありがたいことはないですな。

ここで皆さん、はっきりしとかにゃならんのは、私どもの信心は、神様と人間は親子のつながりであり、親子の情でつながっとるんです。理屈でつながっているのでもなく、理論でつながっているのでもないのです。はっきりとここに「神様は親、人間は子、親子の情はどこまでも変わるものではないぞ」と教えられている。私どもと神様との情けでつながっておるんです。私たちは情けの世界に住んでおるんです。

この情というものは一般的に言うたら、物事に感じて起こる心のはたらきが情ということになる。もっとわかりやすく言えば、思いやり、赴き、味わいというような言葉がでてくるはずでありますが、もう一つ大事なことは情理という意味があるんです。情の中に理という意味があるんです。これは道理であります。筋道であります。いわゆる情に対して理という意味がありますが、この理も情の中に実は入っておるんです。ですから、教祖様の教えは、親神様と親子との情の通じ合いで、情(思いやり)の世界の中で天地の道理を体に入れてもらったというか体得せられた、それが教典の中の教えでございます。そういうことをよう理解しておかんと、ただ理論だけでこの教えをいかに解釈してみても、これは教祖様のお心へ届きません。このことをどうか承知していただきたいし、そういう意味でこの教典をもっともっと皆さん拝読していただきたい。

そして、その言葉の中に込められている神様のお心、教祖様のお心を自分が引き出して、そして自分がそれをいただいて、それをもって信心するという、こういう教典の頂き方をしていただきたい。ただ理論さえ立てればいい、と、こういうことになってきますから、そこはよく心得ていただきたい。

つまり、教祖のお取次ぎは、この情報を尽くした取次であり、そのお話が教祖の教えであり信心でございます。お結界では、この情理を尽くしたお結界のご用をさせていただかねばなりません。そのためには、教祖様は亡くなって肉体的には存在しませんが、教祖様にお会いしたければ、この教えの中に込めておられている今日の思いをしっかり自分なりにいただいて、情理をつくしたお取次ぎができるように努力していただきたい。

そして、それについて、人間ですから、神様の姿がみえません。神様の姿が見えませんから、そこで私たちは先輩がいるし親がいるし師匠がおります。これは私から言わせれば、神様が親に姿を変えて、先輩に姿を変えて、神様ご自身が私たちにわかるように導いておってくださる。そのための自分の周りの先輩とか師匠とか先生とか、こういう方がおられるので、これは神様が姿を変えて私たちに面と向かって教えを説いてくださる、そういう神様のお姿じゃと、私は信じております。

み教えに「人には上下(かみしも)がある。神には上下がない」という一文がございます。「人には上下がある」ということは、人には先輩、後輩があるぞ、それはお前たちの信心を育てるために神様が人に上下をこしらえておるのだと。上下というのは先輩、後輩であります。自分の目の前を見たら、自分より先に信心の道を歩いておられる、先輩や親や師匠がおるのです。それを手本にして自分の信心成長させていきなさいよと、そして、今度は自分自身を振り返ってみたら、自分を師と思い、自分を先生と思って後から後輩たちがお前の信心の道をたどって歩いてきておるぞ。その先輩、後輩はお互いが助け合って、お互いが先を見て手本にし、そして後輩を引っ張っていって、そして一緒に信心しておかげを受けてくれよと、そういうお心が「人には上下がある」という、たったそれだけの言葉の中に教祖の心が込められていると思います。

どうぞ、教典をもっと大切にしていただきたい。そして、自分の先生はだれか、自分の師匠、自分がこれと思う師匠は誰か、これを見つけて、そしてその先輩、師匠、先生をいただいて、自分の信心を育てて頂いたら本当に神様のお心に敵った信心ができるのだと思います。

私の信心仲間のある人が申しました。「先生なあ、師というものはなあ、師匠自身が弟子を決めるのではないのだ。弟子が勝手に『あんたがわしの師匠です』いうたら師匠になるんじゃ」いうて、えらい乱暴な人がおりますけれども、本当にそうじゃと思います。

どうぞ皆さんしっかりご信心をしていただきたい。この一年間で信心の方向を発見していただきたいと願いたいと思います。

五月号に続く

金光大神の教え

「腹立てば心の鏡のくもること」

❖鏡がくもっていては、どんな顔をしているか見えません。

❖心の鏡も同じで、くもると神様の思いが感じられなくなってしまいます。

心の鏡もいつも綺麗にしておきましょう。

イライラしていたら 心の鏡がくもるよ。


心の鏡をきれいに保つコツ

  • 呼吸で一息つく: 深呼吸を2〜3回して心のざわつきを落ち着ける。

  • 感情を名前で認識する: 「いま怒っている」「イライラしている」と言葉にする。

  • 反応する前に1回止まる: 何かを言う前に10秒待ってみる。

  • 視点を変える練習: 「この怒りは私の大事な何かを守ろうとしているサインかも」と受け止め直す。

  • 感謝の気持ちをプラスする: 5つの小さな感謝を思い出して心をほぐす。

  • やさしい自己対話: 「今は落ち着こう。大事なのは私の心の健やかさ。」と自分に語りかける。

今すぐできる簡易ルーティン(3分程度)

  • 1分 breathing: 4秒吸って、4秒止めて、4秒吐く。計4回繰り返す。

  • 3つの言葉ジャーナル: 今の状況・感じている感情・次にとる行動を1行ずつ書く。

  • 1つの行動選択: 怒りで反応する代わりに「今は話さない」「この場を離れる」「相手に確認する」など、1つの穏やかな選択を決める。

  • 5つの感謝リスト: 今日感謝できることを5つ挙げる。

4) 瞬間ジャーナル・プロンプト(練習用)

  • 今、私が怒っている理由は何か?

  • その怒りは私のどんなニーズを示しているか?

  • 私が今取れる最良の対応は何か?

  • この経験から学べたことは何か?

  • 心の鏡を清めるために、今夜どんな小さな行動をするか?

おまけの言葉

  • 心の鏡は一度曇っても、毎日のケアで必ず澄んでいきます。急がず、少しずつ自分と対話を重ねていきましょう。


こころの練習帳

024 車を降りるその前に

目的地に着きました。運転お疲れさまでした。

安全でやさしい運転ができましたか?

自分がどれだけ気をつけても、

実は何が起こっても不思議ではないのです。

故障も事故もなく無事に到着できたこと、神様にお礼を申しましょう。同乗者も一緒に、手を合わせて「ありがとうございます」。

日々の改まり

(甘木初代教会長安武松太郎師の教歌)

身を忘れ

家を忘れて 道のため

つくす心ぞ 真なるらむ

「道のため」の意味

「道のため」とは、神の願いをわが願いとして生きることです。

その願いとは、金光大神が示された『人が助かりさえすれば、それで結構です』という願いです。もしその神の願いをこの世に現すことができるなら、自分自身のことや家族のことが後回しになることがあっても厭わない。そのように私心を離れ、神の願いを第一として尽くす姿にこそ、神に仕える真の姿があるのです。

この短歌に込められた思い:

この短歌は単に、自己犠牲を勧めているのではなく、神の願いを第一にする信仰の姿、人の助かりを最優先にする奉仕の心。私情よりも神意を重んじる覚悟を表しているといえます。

特に大切な点

「身を忘れ」「家を忘れて」は、自分や家族を粗末にすることではなく、神の願いの前では、私的な都合や執着を優先しない という意味に読むのが大切です。

つまり、自分を捨てることそのものが尊いのではなく、神の願いが現れることを第一にする その姿勢が「真なる」心なのです。

まとめの一文:この短歌は、神の願いである「人が助かること」を第一として、自分や家の都合よりもその願いの成就に尽くす心こそ、神に仕える真実の姿であると詠んでいる。

私は、この短歌に励まされ、今日まで歩んでくることができました。

ポートランド教会からガーデナ教会に移り、毎日神様と共にあり、人が助かる道を求めて過ごしてまいりました。移住したころは、子どもや孫のこと、またポートランド教会や信者の方々のことが思われ、家族がそばにいない寂しさを覚えることも少なくありませんでした。そんな時、私は安武松太郎師が神意と私情との間で戦いながら修行されたお姿を思い、自分もその心をいただこうと努めてきました。そのおかげで、私情にとらわれるのではなく、神様の願いである「ご神意に沿うこと、人が助かること」を第一にして、今日まで頑張ることができたのです。ではこの短歌の意味をみんなで考えてみましょう。

金光教ガーデナ教会からのお知らせ

 

朝参り並びに掃除、信徒会会議

3月29日は、午前9時から朝の礼拝を行います。朝の礼拝の後は、一緒に教会の内外を清掃して心を磨きましょう。昼食後は信徒会会議を行います。どなたでもご参加いただけます。


カレーセール

ガーデナ教会信徒会主催により四月五日にカレーセールを行います。チキンカレーライスを販売します。 場所は金光教ガーデナ教会のダイニングホール。カレーの種類はマイルドと中辛があります。ピクアップは午前十時より十二時です。


ガーデナ教会四月月例祭並びに信徒会主催バーベキュー

四月十二日、午前10時より春の合同霊祭をガーデナ教会斎場でお仕えさせていただきます。

祭典後信徒会主催でバーべーキューランチを行います。

GCWC 勉強会

ガーデナ教会作業委員会は4月26日午前10時から午後2時まで開催されます。


金光教ロスアンゼルス教会からのお知らせ

四月月例祭

金光教ロスアンゼルス教会の月例祭が、四月十二日午前10時より、ガーデナ取次広前にてガーデナ教会と合同で執り行われます。ご家族そろって(小さいお子様も)ご参拝くださるようご案内申し上げます。


教会修理情報

金光教教会の修理情報。現在職宅の屋根の修理が終わりました。次は教会の内外の大掃除です。日程が決まり次第お知らせするので、御用奉仕よろしくお願いします。その後の計画は、職宅の壁のペンキ塗り、床の張替えなどがあります。順序を追ってお知らせいたしますのでご協力、お祈り添えをお願いします。


北米教区布教活動報告

研究情報センター会議

金光教北米教区リサーチ インフォメーション センターの研究会が三月二十一日二十二日の二日間により、教典用語辞典福島儀次著の英訳。福田美亨師の布教文復習。金光教教義研究などの研究情報会議が行われます。



 
 
 

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