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天地の声 令和六年一月

Vol. 24# 1


新年あけましておめでとうございます


昨年中は色々な事柄がありましたね。笑ったり、怒ったり、喜んだり、泣いたり、キュンと心がときめき神心になったり。でも私たちは金光大神様のお取次で最高のおかげになりましたね。

さて今年は辰年です。辰年には、昇り竜、下り竜があるそうです。私たち生神金光大神様の信心をさせていただいている者は、金光大神の取次ぎで、天地金乃神さまのおはたらきを現して、おかげにしなければなりません。例え下り竜であろうと上り竜であろうと大きな大きなおかげに出来ますよ。神さまは「真一心に願えば、どのような願いでも叶えてやる」と約束されているから。今年も、泣いても笑っても、怒っても、嬉しくても、必ず金光大神の取次ぎをいただき、神さまとあいよかけよで取り組み、神のはたらきをあらわし、大きな大きなおかげにしようね。

正月豆知識

一般的には、歳神(歳徳神ともいう)を祀る年棚を整え、しめ縄を飾り、鏡もち、干し柿、橙、鯛、鰤、昆布などの吉例の食物を供える。そうして、一年の農耕、それぞれの家業の安全、家族の無事繁栄を祈り、また収穫や天候の吉凶などを占う行事を行う。地方によって、家々によって、いろいろな作法・方式が伝えられ守られていた。

大谷村では、朔日早朝、氏神など村内の宮に参拝、庄屋、藩の御用達の家、講内の家々へ年始に回った。朝は雑炊、昼は米の飯で祝う。平常は麦飯しか食べなかった頃のことである。夜には万歳が訪れ、祝い歌をうたって、根のついた小松を縁起ものとして置いて帰る、という風習があった。二日には、旦那寺である天台宗寂光院善勝寺へ参り、住職に年頭の挨拶をした。また、この日は、事始めの日で、子供は書き初めなどする。三日は何もしない。そうして四日が、仕事始めとなる。

一 言

昨今のニューレターは、金光大神の教えの解釈、教義にかたむき、内容が固すぎて面白味が薄いとの声が聞かれます。そこで、昔ニュースレターに中山亀太郎先生の信心ストーリの記事を何度か紹介しました。以前、岡テッドさんが「先生、中山亀太郎先生の信心ストーリ楽しみにしていたのに」と言っておられたのを思いだしました。そこで、新年は難儀に遭いながらも信心しておかげをこうむられた、中山亀太郎先生の「運命を愛し、運命を生かす」を紹介します。

人生に実際に起こってきたことを、信心でどのようにおかげを頂いてこられたかを見ていくのに貴重な人生体験を皆さんにご紹介します。

中山亀太郎

生かされてきた私  母心                                                   

  かってわたしは非常に不仕合せだったので、この世の中で私ほど不仕合せな者はあるまいと思って、自殺を企てたこともありましたが、母の愛と、母の信心のおかげで、たいへん仕合せにならせていただき、今では、この世の中で私くらい仕合せな者はほかにあるまいとさえ、思わせて頂けるようなおかげを蒙っているのであります。

          これからしばらく、不仕合せだった私が、どのようにして仕合せにならせていただけたか、ということについて、聞いていただきたいと思います。

          私の郷里は、岡山県都窪郡中庄村(現在の倉敷市中庄)でした。生まれて間もなく、両親に連れられて秋田県にまいりました。

          父は、秋田県の椿鉱山で採鉱助手という仕事をしていましたが、明治四十二年の八月、わたしが四歳の時、坑内のメタンガスが爆発し、そのとき父は亡くなりました。二十九歳で夫を失った母は、姉と私の二人の幼児と、年老いた祖母を抱えて、一時は途方に暮れ、路頭に迷いましたが、他人の前では、けっして涙を見せなかったそうです。母は、私たちを連れて、九州の小倉にまいり、父の弔慰金を資本にして、ささやかな商売を始め、細々ながら、私たちの成長を楽しみに生活を立てていました。

わたしが五歳の春の事でありました。近所のお菓子屋さんで、草餅を売っていましたので、母にねだりましたところ、母は、「売っているお餅はあんが少ないから、おいしくない。ヨモギがあったら、おいしいのをつくってあげよう」と言いました。

わたしは、姉と子守さんと出かけました。町の繫華街でしたから、どこにもヨモギがありませんでしたので、小倉駅の構内に入って、貨物の操車場の線路ばたでヨモギを摘んでいました。ちょうど、入れ替え作業をしていた貨車が突っ走ってきたので、逃げようとしたとき、出掛けにおろした新しい右の下駄が、線路に挟まってしまいました。子供心にも、危ない、おそろしいと感じながらも、新しい下駄を惜しいと思って、両手を指し伸ばして取ろうとした瞬間、わたしは気を失いました。

気が付いた時には、既に担架に乗せられて病院に運ばれていました。汽車にひかれたという知らせで、ころがるようにして駆けつけて来た母は、そっと毛布をはがしてみると、両手が無くなっていたので、「両手が無い」と思って、もうたまらなかったそうです。さらに毛布を全部取ってみて、右の足も無くなっている私を見て、母はその場に昏倒してしまい、三日三晩というものは、人事不省におちいり、わたしの介抱ができないばかりか、自分にも看護婦をつけて、看病してもらわねばならないほど、取り乱してしまいました。

頼みに思う夫に死に別れた時には、他人の前では涙ひとしずくも見せなかったというほどの気丈な母が、なぜ、そんなに取り乱したのであるっということを考えてみますと、これが母心であり、母性愛のあらわれであったと思います。

夫婦の間では、どのような細やかな愛情で結ばれていても、もとは他人でありますが、母子の間には同じ血が通っているのでありまして、胎内にいたときは同じ血管で結ばれていた血のつながりが、親心となり、母性愛と言われるものになるのだと思います。                         

次号に続く

お知らせ

元旦祭

元旦祭は一月元日午前9時より元旦礼拝を行います。新年の無病息災を祈願し、感謝の気持ちを込めて初詣に参列し、神様や友人をお迎えしましょう。祭典後それぞれにお神酒をいただき、お雑煮におせちを用意しているのでぜひいただいてください。

月例礼拝と新年会

月例礼拝と新年会は、1 月 14日(日)午前 10時に開催されます。ポットラックと白象のギフト交換にぜひご参加ください。 他の人と共有したい料理やギフトをお持ちください。 お待ちしております。

ガーデナ教会活動委員会ワークショップ

GCWC は、1 月 21日日曜日の午前 10 時から午後 2 時まで開催されます。 

訃報

浜野デビーのご尊父、浜野忠さんが十二月七日にお国替えされました。93歳でした。

十二月19日埋葬式が行われました。1/08/1929 ~ 12/07/2023

 

金光教ロスアンゼルス教会信徒総代、鳥越初子さんが去る十二月十日お国替えされました。88歳でした。1/21/1934 ~12/10/2023。 御霊祭りは来る一月六日ガーデナ教会広前で午前十一時より行われます。

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