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天地の声 令和五年七月

Vol. 23 # 7


金光大神様の信心とお取次ぎ

金光大神のご信心は〔取次の道〕とも言われています。取次を乞うとはどういう事なのかを金光大神さまの教えを拝しながら皆さんと共に研修してみましょう。

金光大神さまは1859年11月15日、「世間に多くの難儀な人々がいるから取次ぎ助けてやってくれ」と、天地金乃神さまから頼まれ、家業である農業をやめ、ご自宅で、苦しみ悩んでいる人々の難儀の救済に専念されました。金光大神さまは、参ってきた氏子の苦しみや難儀を聴き、それを天地の親神さまに取り次がれ、人間は、天地の恵みを受け、天地の道理の中に生かされていることを理解させ、更におかげはわが心にある事を教え、氏子の難儀の解決に向けて、神と人と共に取り組まれました。

天地金乃神さまは、さらに「神も助かり氏子も立ち行き。氏子あっての神、神あっての氏子、末々繁盛いたし、親にかかり子にかかり、あいよかけよで立ち行き」と金光大神の取次を通して、神が人と親子のようにか関わり合いつつ、取り組んで行くことを願われたのです。

天地金乃神さまは「親にかかり子にかかり、あいよかけよで立ち行き」と、私たちに願われているのは、生神金光大神さまの取次で、神に頼み、相談してくれ。ちょうど人の親と子のように、人間が神と相談、話し合いをしつつ、真のおかげを受けてほしい、神の意志がみえます。その神と人との関わり、相談し合うのを「あいよかけよ」という言葉で表されました。

では、あいよかけよとはどういう意味なのかを歴史的に、教義的に見てみましょう。

あいよかけよとは、日本の備中地方(岡山)の古い方言で、元来は、重い荷物を天秤棒を肩に二人で担いで行くとき、調子を合わせ、力を揃えるために双方が掛け合う声に由来する言葉と伝えられている。この掛け声を合わすことで、一人では不可能な重い物おも、動かすことが出来るという意味合いから、この言葉は、神と人との関係性を表現する言葉として、主として「お知らせ」の中に表現された。人間の神への信の深まり方によって、神が神として人の世を助けるという働きを現わすことになり、それによって人がまた真実人として、つまり生神として生まれ変り、世の助かりを願い生きる人としての働きをすることが出来ることとなる、そのような神と人との信仰による働き合いの関係、いわば依存性をこの言葉は示唆している。「氏子あっての神、神あっての氏子 末々繁盛いたし、親(神)にかかり子(人間)にかかり」とか「氏子あっての神、神あって氏子、子供のことは親が頼み、親のことは子が頼み、天地のごとし」という表現などは、上記の神と人との相依性(互いに頼り合って生きていく、助け合って生活する)を示して、「あいよかけよ」の意味するところを言い当てようとしたものである。

神と人とがあいよかけよで立ち行くとは、生神金光大神の取次を通して、人が天地金乃神さまに、「真のおかげをいただくにはどのようなご信心になったら良いですか? この問題をどのように取組めば良いのか」と、神さまにお伺いを立てること。私たちは常に神さまのご指示を仰ぐことを「神、人あいよかけよで立ち行き」言うのです。

すべての生活のうえにお取次ぎを乞い、神にお伺いを立て、神と金光大神と自分の三角関係の中で、天地の恵みを自覚し、道理を悟り、己の願いを成就するありかたを「あいよかけよ」の道と言います。 更に取次を乞い、天地金乃神に縋り、神に任せる生き方を「神代」とも言います。   

人間が難儀に出合うのは、難儀のもと(原因)があるからです。金光大神さまは、難儀のもとを「人の心は移り変わりやすいものである。人を頼りにするから、腹を立てたり、物事を苦にしたりすることになる。人に向かう心を神に向けよ。神は、願えば何でも聞き届けてくださる」天地語76

と教え、神に縋れば神が良いようにしてやると諭しておられます。「人代」とは神を無視して、人を頼ること、「神代」とは神にすがり、全てを任せること言う。

天地金乃神さまは「今は人代と言って、わが力で何事もしている。神が知らせてやることにそむく者ある。神の教えどおりにする者は神になる。昔は神代といい、今は人代である。神代になるように教えてやる。難儀なるもわが心、安心なるのもわが心からである。」 天地語72 と忠告しておられます。この教えは、人間は神のおかげの中に生かされ生きているのに、人は何事も自分の考えだけで物事を推し進めようとことを神さまは指摘されているのです。家も、土地もその他の物もみな神のものであるのに、わが物である、わが金ですると思い、神にお許しを得ないでするから問題が起こってくると警告されているのです。

天地の道理を知らないことから必然的に生じてくるのは、意識の面における天地と人間との関係の断絶です。すなわち、人間の周囲にある物はみな、だれかの物である、人間がしていることはみなわが力でしている、という自己中心的な考えがそこから出てきます。人間が所有している物は、土地、資材など、もともと天地にあった物や、農産物、海産物、工業製品、その結果としてのお金など、天地のかかわりにおいて生み出されたものです。その天地という所が抜け落ちてしますと、わが物という所有の考えになってしまいます。それを金光大神は次のように諭しておられます。「この大地もその他の物も、みな神の物であるのに、わが物である、わが金ですると思ってしまい、神にお願いしないでするから、叱られるのは無理もない」天地語73

「天地の道理」への無知、それに基づく考え方の誤まり、そしてそれに基づく間違った行為などがもたらす天地と人間との関係の断絶は、神伝において、人間の神への「無礼」といわれています。「無礼」とは、神をないがしろにしているということであり、「天地の道理」ということから言えば「背理」しているということです。その無礼あるいは背理が底辺にあって、それが種々の状況や要因と結びついていて人間の難儀を生み出すているのです。このように金光大神の信心では、人間の難儀の根本原因を無礼あるいは背理にあると捉えています。

取次をいただくとは、何事も生神金光大神の取次で神に伺いを立て、お許しをいただき、またその結果を神に取次、「取次、取次がれる」関係が大事なのです。取次をいただき、常に神さまと関りを持ちつつ信心を進めて行くことが、「神、人、共に生き、あいよかけよで立ち行く」ことが、金光大神さまのご信心であり天地金乃神様が願われていることです。

生神金光大神の取次で天地金乃神の道理に沿った生き方を再現する。 「今は人代と言って、わが力で何事もしている。神が知らせてやることにそむく者ある。神の教えどおりにする者は神になる。昔は神代といい、今は人代である。神代になるように教えてやる。難儀なるもわが心、安心なるのもわが心からである。」天地語72


お知らせ、ご報告

KCNA 指導者信心研修会

KCNA FTIは7月14日から7月16日まで開催されます。講演内容は「神の性質」「神の働き」「人類」「神への無礼」「人間の苦しみ」「神の心」です。 7クラスあり、1クラスあたり1時間半です。 興味のある方はぜひご参加ください。 すべてのクラスに出席することをお勧めします。 詳細については、N. Uzunoe 牧師までお問い合わせください。


岡昭正さんの葬儀

岡昭正さんが6月18日早朝にご逝去されました。葬儀は7月17日月曜日午前11時、ガーデナ金光教会礼拝堂にて執り行われます。


朝の礼拝、清掃、信徒会会議

8月6日午前9時から朝の礼拝が始まります。礼拝後は教会内外の清掃を一緒に行いましょう。 昼食後は神道会議が開催されます。 午後1時30分から会議委員会を開催いたします。 どなたでもご参加いただけます。


ガーデナ教会7月月例礼拝

月次法要は7月9日午前10時より執り行われ、昼食後は金光大神伝勉強会を開催いたします。 第 4 章について説明します。このセクションを読んで、意見や質問があればグループに提出してください。


ロサンゼルス教会7月月例礼拝

月例礼拝は7月23日午前11時にガーデナ調停ホールで開催される。


2023年度北米カンファレンス

KCNAカンファレンス8月18日から20日までカリフォルニア大学サンタバーバラ校で開催される。 ご質問がございましたら、カンファレンス委員会(conference@konkofaith.org)までご連絡ください。 お待ちしております!

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