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天地の声 令和七年五月

  • Rev. Nobuharu Uzunoe
  • 4月28日
  • 読了時間: 3分

Vol. 25# 5


天地金乃神大祭をお迎えして

野山には、新しいいのちが芽吹き、天地のいのちをわが身に感じる季節になりましたね。来る五月十二日にガーデナ教斎場にて午前十時よりロスアンゼルス教会並びにガーデナ教会の天地金乃神大祭をお仕えさせていただきます。全ての上に都合繰り合わせをいただかれ友人知人をお誘いの上参拝されますよう、ご案内申し上げます。

金光大神さまは、「天地が生きているから、人間もみな生きていられるのである」 と諭されました。人間をはじめ万物が生きていることのできる根本の原因が、天地が生きていることにあること、言い換えれば「天地のいのち」が万物の「いのち」のもとといえます。

天地のいのちが万物のいのちのもとであるということは、例えていえば、ここに一本の木があるとして、一本の枝、一枚の葉が生きていることが出来るのは、木全体が生きているからである。という関係に似ているでしょう。人間は天地のいのちを自らのいのちに取り入れて生きています。天地のいのちとわたしたちのいのちは別物ではなく、わたしたちのいのちは天地のいのちを分け与えられたもの、天地のいのちを分け持っているものすなわち天地の分身だといえるでしょう。

 

こどもの日に

きょうは「こどもの日」でありまして、ことしもまた、全国各地で、いろいろ、子供のためにふさわしい行事が行われることと思います。

御家庭では、こどもを連れてピクニックやハイキングにお出掛けになるうちもありましょうし、教会でも、こどものお祭りをしたり、婦人会や青年会で、こどものために演芸会などを開いてお祝いするところもあります。

こどもの日は「こどもの人権を尊重して、こどものほんとうの幸せをはかるとともに、こどものほんとうの仕合せをはかるとともに、母親に感謝する」という目的のために、国民の祝日として法律によって定められたものであります。

      しろがねもこがねも玉も何せんにまされる宝子にしかめやも

とは、万葉歌人山上憶良が親の子に対する純真な愛情を、端的に言いあらわした有名な歌であります。昔から、こどもは大切にしなければならない、大事に育てなければならない、と言われていながら、ただ単に、かわいいという感情だけで愛し、実は大人がこどもを犠牲にしていたことが少なくないと思います。

犬や猫は、その子をなめながら育てております。これは動物の本能でありまして、私たちは万物の霊長であると申しておりましても、やはり動物でありますから、こどもをかわいいと思う心の中にも自然の情とでも言いましょうか、多分に動物的なところがあるのではないかと思います。


こころの練習帳

013 お家の水はどこからやって来る?

蛇口をひねれば、当たり前のように水が出てきます。果たしてその水は、どこから来たのか想像を巡らせてみましょう。洗面所→水道管→上水道→浄水場→川→湖→山間の渓流→木の葉から流れ落ちる雨水・・・・。今、手にする水は、どんな旅をして来たのだろう。「よく来たね」と水さんに感謝感謝。


金光教ガーデナ教会、ロスアンゼルス教会からのお知らせ


朝参りと信徒会会議  

五月四日、午前9時から朝の礼拝を仕えられます。ご祈念のあと教会内外の清掃。ガーデナ教会の信徒会会議を開催いたします。 興味のある方はぜひご参加ください。

天地金乃神大祭

五月十一日、午前十時より、ガーデナ教会斎場にて天地金乃神様のご大祭をお仕えさせていただきます。



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